太田東小学校
創立150周年記念
おいわいの言葉
『太田東小学校創立百五十周年を記念して』 大信田 哲男
太田町百年史などによると、創立が明治七年九月二十九日とあります。
学校は、当時の長信田村石神「大薗寺」とあります。
現在テレビで観られるような、寺小屋風だったのでしょうか。
どんな教科書だったのでしょうか。
みんな、膝を折って行儀よく座って、先生の話を聞いていたんでしょうね。
私は、築地古舘にある校舎に入学、卒業しました。
春になると、校庭の桜の花がきれいだったなあと記憶しています。
その後、現在の東小学校にあった長信田中学校に入りました。
卒業するときには太田中学校第二期生(東校舎)でした。
南小学校を卒業した子供たち(西校舎)もいて、まだ名前だけの合併した太田中学校でした。
さて、例年、東小学校からお声かけいただき、フィールドワークで三年生の子供たちを太田地域内の文化財や企業などに案内、つまり一緒に「太田めぐり」をさせていただいております。
企業では、コロナ禍のころ、東小学校全ての児童用にと人数分のマスクを寄贈いただいた、永代の「マルチョウワークス秋田」を訪問しました。
当日は、ご丁寧にも社長さん自らが、東京の本社からお出で下さり、説明役にお待ちしてくれていました。
奥羽山荘前では、倉田 正嗣 作詞を讃える碑の前で、秋田県民歌を声高らかに歌い上げました。
文化プラザでは太田公民館職員で、鈴木空如のお話をさせたら大仙市役所一番の職員、髙橋 一倫さんが、空如の小学生用パンフレットを準備して待っていてくれました。
国見地区では、戊辰戦争の話をしました。
賽三柱神社に残る弾痕を見てもらい、ロシアのウクライナ侵攻が話題のこの時期に、戦争の悲惨さを感じてもらいました。
その近くには、その戦いで倒れた角館出身の竹村庫之丞の碑などがあり、今でも目に見える形で伝えてあります。
最後は、太田球場見学でした、子供たちは自分の小学校のグラウンドしか見たことがなかったので、本当に目を輝かせて歓喜の声をあげて見てくれました。
考えてみるに、ナイター設備のある野球場が太田にあること事態を知らない子がいたかもしれません。
こんな太田めぐりの一日を一部紹介しました。
この時の一緒の子どもたちは、たまに私と会うと声掛けしてくれるのがうれしくてたまりません。